【第1話】お気楽ボンボンの学生からデザイナーとして就職へ。

イシイミノル
初めまして、石井です。私の簡単な紹介ですがお時間がある方はご覧下さい(笑)

私は、父が公務員。母が看護婦という中流家庭に生まれました。子供頃は両親とも働くことが生きがいのような人だったので、そんなにお金持ちだという認識はありませんでした。しかし、今思うと結構恵まれた家庭だったと感謝しています。

というのも、私が高校を卒業して東京のデザインの専門学校に行きたいと言っても心よく承諾してくれましたから。これが普通の会社員と専業主婦の家だったなら、そんなに子供の教育にお金を掛ける事は出来なかっただろうなぁと思います。

そのような中流の上の家庭の長男に生まれた私は、小さい頃から親や親戚の愛情を受けて育ちましたから、お坊ちゃん育ちで特に金銭感覚が全くありませんでした。

「とにかく自分の好きな事をしなさい」という環境に育ったので元々絵を描くことが好きだった私は、中学ではイラストレーターに憧れ、高校に進学すると美術大学に行きたいと思うようになりました。

高校を卒業後、結局東京のデザインの専門学校に入学しましたが、親の仕送りを頼りに好きなデザインやイラストを描く毎日を過ごしていました。今考えるともっと遊んでいれば、お金も必要になったので自ら進んでアルバイトをしたりして金銭感覚も鍛えられたかなと思っています。

そんな天国のようなお気軽な学生生活も終わり、就職をしなければなりませんが、当時の日本はバブル景気で特にデザイン広告業界は、毎日のように新聞に求人が載っていたので、すんなりと小さなデザイン会社に就職する事ができました。

私のサラリーマンデザイナー時代の始まりであります。

広告業界というと当時もブラック会社が存在していて、徹夜が常識という感じでしたが私が幾つか転職した会社は、どれもホワイトで会社の先輩もみな良い人ばかりでラッキーでした。

その当時、会社の先輩からこう言われたのを今でもよく覚えています。

「お前は、若いのに覇気がないなぁ。俺の若い頃は、もっとギラギラしてたけどなぁ」と。

ズバリ、これといった野心や目標もなくただ好きなデザインの道に入ってきた凡々の私を見たその人はそんな風に感じたんでしょうね。

しかし、そんな私でも生涯のパートナーとなる今のカミさんに出会えたのは感謝しています。私と違って金銭感覚もキチンとした現実派の性格だったので良かったと思います。これが私と同じような「夢ばかり見ている少女」で浪費癖があったのならば最悪でしたからね。

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